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砂原庸介著『領域を超えない民主主義』を読む。

書家である私が書と政治学の関係を考えた馴れ初めは、大正期の清浦奎吾の研究であり、その研究を進める中で、以前、日文研の御厨貴先生、井上章一先生の班で、砂原先生ともご一緒させていただいた。

 

清浦奎吾について簡単に触れると

清浦は大正13年1月1日に組閣の大命を拝するが、前年の大正12年(1923)は9月1日に関東大震災が発生し、同月12日に精神作興帝都復興の詔勅、さらに11月には震災による社会不安と、第一次大戦後の社会主義・利己的個人主義の風潮を排撃して国民の思想を善導するという名目で「国民精神作興に関する詔書」が天皇および摂政の名で発布されており、12月に虎ノ門事件(摂政裕仁暗殺未遂事件)が起きて、第二次山本権兵衛内閣が総辞職するという激動の折の次政権である。

清浦はこれらの事態収拾を受け、帝都の復興、国民精神の振作、また行財政の整理緊粛、選挙の廓清の四項目を施政方針演説で打ち出している。

その中で国民精神の振作については、

“欧州大戦以来我邦ノ思想界カ依然トシテ動揺ヲ続ケ人心今尚矯激浮華ニ赴カントスルモノアリマスコトハ洵ニ痛嘆ノ極ミテアリマス斯ノ如キ時弊ヲ矯正スルニツキマシテハ固ヨリ幾多ノ施設ヲ必要ト致シマスカ文教ノ振作ト相待テ国民精神ノ作興ヲ図リマスコトハ現下ノ国情ニ照シ急務中ノ急務テアルト存シマス”

と、詔書を受けた内容になっており「欧州大戦以来我邦ノ思想界カ依然トシテ動揺ヲ続ケ人心今尚矯激浮華ニ赴カントスルモノ」とあるのは、デモクラシーやマルキシズムを意味すると考えられる。

つまり清浦の国民精神作興観の基底には、イデオロギーに抗い、王朝を堅持せんとする東洋思想尊重の姿勢が存しているということであり、それは後の清浦の言説にも通貫して看取される。

そして清浦が政治的に書道界に参画したのは、大正13年第二次護憲運動に直面して総選挙で敗北し、6月に総辞職に追い込まれて暫く経ってからだが、震災以後の書道界も国体堅持の風潮に乗らんとしていた。

書道界にコミットした直後は清浦も極めて行政的レベルでの協力が多かったが、暫くして会(後身の泰東書道院)が雑誌を刊行するようになると、ほぼ毎回にわたり巻頭に論文を掲載し、自身の書道論・国民精神作興論を展開している。

因みに雑誌『書道』第一巻第一号「書道に就て」では、

“一般の人に対して書家たれとは望まれぬが、書道が民衆化して望まれても書をなるべく能く書き、書を愛好する気分になつてほしい。是がやがて国民精神を涵養し、文化を向上せしめ、治道を裨補する所以とも相成ることと思ふ。::

書道をして民衆化せしむるには、普通教育に於て稍閑却せられつつある習字科に重を措き、当局者に適当の措置を取らしむることを希望する。

文政審議会や貴院の建議に重きを措き、文政当局も其の施設方針に付何にとか詮議を尽すだろうとは思惟せらるるも、それにのみ依頼して安んずることは出来ぬ。書道に志ある人々は共同の力を以て書道の民衆化を図り、向上普及せしめなければならぬ。“

とあり、その他の論文でも「精神を陶冶し思想を善導」「精神作興思想善導に資益」「良風の善導助長」「治道に裨補の功」などと述べていることから、清浦は国民精神作興を「書道の民衆化」という形で成し遂げようとしていたことが分かる。

清浦はこのように実務レベル・言論レベル・文化レベルの面から書道界で政治活動を演じており、換言すれば総辞職以後、政治の一線からは退きながらも、自身の政策であった国民精神作興を書道界で遂行していたと言えよう。

 

さて、私は現在の民主主義について、時代が戦前・戦後と推移する中で、終始政治を構成する国民の精神の連続性と非連続性に関心をもっていたが、砂原先生はその民意の政治化の在り方、特に住民投票のガバナンスについて、現在の具体的な事例を踏まえて考察されている。

専門とされる大阪の行政の現実を踏まえて多くの都市行政の分析もなされており、さすがに専門性が高い。私は民意の良識の育成に強い関心を持ち、「文化」にも期待するものであるが、現実的には時の権力抗争やマスコミの誘導、ポピュラリズムと反動の中で、住民投票という短期決戦で妥当な判断を決定する難しさに対しては砂原先生の、

“地方政府を動かす基層的な政治制度の鍵は、政党という組織にあると考えられる。政治家個人が有権者の支持をめぐって競争し、分裂した意思決定を生み出すのではなく、地方政府の領域という空間を超えて有権者に支持を訴え、政治家個人が辞めても組織としての決定が残るという政党という存在こそ、空間と時間を超えて民意に対して責任を持ちうる。”

とされる長期的な展望こそが、より戦略的なのかもしれない。民意の「良識」の涵養は、概ね「教育」が担うのだろうが、これも長期戦略である。双方向的な挟み撃ちが、長いスパンでグランドデザイン化されることが望まれるのではなかろうか。最後に、砂原先生は

“これまで地方レベルの政党が存在感を持たなかった日本でも、政党の存続を許しやすい選挙の制度のもとで中核的なアイディアやリーダーが現われた大阪では、大阪維新の会という地方レベルの政党が重要な役割を果たしている。その正負はさまざまな経験を踏まえながら、典型的には地方議会選挙での比例代表制の導入のように、地方政治で政党が機能する余地を広げることを期待するような制度改革を検討することが急務であろう。”

という提言で締めくくられている。現実の政治は不断に変貌し、あるべき状態に向かって進行していると言うことだろう。砂原先生がアメリカで学ばれたことも、今後、日本の民主主義の在り方を考える上で、大きな意味をなすのではなかろうか。

これからの民主主義のあり方や日本の政治について考えるのに、ぜひご一読いただきたい一書である。