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『書人 郭沫若』(武蔵野書院)リリース

『書人 郭沫若』 武蔵野書院 松宮貴之著

先ず、少なくとも日本に於いて郭沫若の書を、評価してきた歴史がないというのに、私は驚きと不満を感じでいました。1997年は、私は北京に留学しました。その時の看板の文字、書は、ほとんど郭沫若と毛沢東のものでした。ところで、日本では、郭沫若という人物は、従来は主に四つの視角から評価されてきたと思います。一つ目は共和国の政治家として、二つ目は日本の中国史研究の近代化の先駆者として、三つ目は封建性から脱却した自由な文学者として、四つ目は日中の友好関係を推進した外交家としてです。

つまり日本では、現代中国の書法家として、ほとんど評価されてこなかった。

しかし郭沫若の書法の根幹は、実は、日本での留学期や、亡命期の研鑽が、大きな基盤になっています。そして当時(旧文化時代)を批判するカタチで、中国人民のための書法として大成しているのです。

そういう日中間の相互作用の理解が、いままで日中両国の書法研究史でも等閑だったと思います。

郭沫若の政治や学問は、日本の学者や政治家に大きな影響を齎してきました。しかし、書法については、ほとんど影響が、見られません。

これは不思議なことですが、その根本的な理由は、彼の書は、中国人民の為のものであること。そしてその所謂、「郭体」と言われる様式は、抗日戦(日中戦争)期から、作られたということが、旧中国と繋がっていた日本人書道家には、他者として、受け入れ難かったのかもしれません。

しかし客観的にみて、彼の文語と口語の融合した書は、実に美しく、日本人にも色眼鏡無しで。多くの感動を与える要素があります。また多く学ぶべきところがあるでしょう。そして本場の中国でも、もっと評価されるべきだと思います。

日本人にとっては、書道芸術内他者という妙な位置付けになるかもしれませんが、ただそういう他者意識を明確にしてから、再度、日中両国の書法美の共有化を図るべきだと考えます。中国書法は、日本書道とは、歴史の原理を異にする、やはり「他者」なのです。

よって、その自覚からスタートすべき意味で、重要な試金石となるキーパーソンとして、不可欠の存在。そのバルザック的とも言える郭沫若の書について、少しく考察しました。

そして、その物語りを大掴みに言えば、中国近現代史の流れの中に郭沫若の生涯を位置付け、彼の「書人」としての生き方と彼の書作品の変遷とを結びつけて解明しようとした、日中に於ける郭沫若研究として、新しい視点と、研究分野を提起する試みなのです。

 

『書人 郭沫若』目次

はじめに

書法史の二大潮流

行書と自作詩の行方

近現代中国の文人観と金石学

口語の表出と告白

プロパガンダと演出

中国に於ける芸術としての書法と近未来像

 

第一章 日本と郭沫若 自我の覚醒と岡山・九州の時代

(一九二〇年代~一九三六年)

第一節 在日時代に於ける郭沫若の思弁哲学と

書の基底をなす思想の断層

─五四運動期からの郭沫若に於ける独自の

儒教解釈と書の姿

思想と書

書人・郭沫若の登場

内面的風景と詩、そして書

中国革命と帝都日本

日本人士との関わり

五四運動の中で

デモクラシーとサイエンス

ドイツ文学との反照としての孔子とゲーテ

郭の孔子像

陽明学との邂逅

荘子への愛着と精神への内蔵化

独自の陽明学解釈

荘子と陽明学の折衷と書相

格物致知と書の構造

建国後の懐古

唯心論とは

蒋介石の封建思想批判

唯物論とは

市川に於ける古代儒教史の構築へ

第二節 唯物史観に拠る碑学への回帰と帖学の温存、

そして共産党員の書からの位置付け

郭沫若略歴

市川での学書の傾向

今文経学思想と碑学派の観念

帖学派と陽明学

共産党員としての白話体

第三節 市川時代の秘密活動と奴隷制社会の発見

─碑学派の発展と、金石学の西洋考古学との

接触にともなう変質

西洋考古学の影響

論文体の受容と石碑の学

『石鼓文研究』序文から見える二人の日本

 

第二章 抗日戦争期の書相(一九三七年~一九四五年)

第一節 抗日戦争期に於けるプロパガンダの担当と書

─言語表象学に於ける郭沫若の「言語」「文学」

「思想」の表出としての「書」様式の分析

戦争の季節

詩作の分布

郭沫若書法研究史批判

第二節 言語表象学に於ける時間の推移と書風変遷の検証

─抗日戦争期に於ける「第一期郭体」の誕生

書と言葉

白話文の書相の変遷は

一九三七年から一九四六年にかけての作品分類と様式分析

─抗日戦線に於ける抗日宣伝活動下の新書風の形成

白話詩と古文の合流と新しい民族意識としての書風

文学に見える思想性

抗日戦線に於ける経世致用「第一期郭体」の誕生

新しい書風と音韻意識

民国期と人民共和国期と款記等の変遷と意味合い

第三節 抗日戦時の日本人左傾人脈との連携

郭沫若の社会主義構想

日本での共産党系人士との連携とその活動

日本文化人との交流

国民党左派と周恩来及び在華日本人反戦同盟

第四節 戯曲『屈原』について

戯曲『屈原』

本作の社会的背景

文白の争いと近体詩の役割

政治としての書風の意味

近現代的に見て

郭沫若の白話と文語

第三章 抗日解放から建国前期の諸政策と書の在処

(一九四六年~一九六二年)

第一節 抗日勝利から中華人民共和国の建国時代

─日中戦争終結から一九五〇年代の様式変遷に

ついて

錯綜する書風

抗日(日中)戦争終結から国共内戦期の郭沫若の書の確認

先行研究に於ける書風変遷への見解

一九四九年、共和国成立時代の文学の姿としての書

一九五〇年代前期の白話体様式の模索

建国期の書

第二節 一九五五年という節目

現職としての書

郭沫若の視察旅行までの経緯

─文部行政に携わる政治家としての歴史学構築

『考古通讯』の発刊と題字について

一九五〇年代の視察と漢詩と書

─古都西安での歴史的政治資源にまつわる活動を

中心として

第三節 百花斉放の文学と書

─百花斉放期の書風、第二期郭体を巡って

社会主義への移行と百花斉放時に於ける文学と書の変貌

第二期郭体に至る変貌過程

「第二期郭体」の定義とその歴史的背景について

第二期郭体とは何か

百花斉放期の『郭沫若日記』

百花斉放時の旧詩と書

第四節 郭体書法の確立と日本での萌芽説

日本再来

九州にて

「福地万間広」詩考

第五節 大躍進政策期に於ける書法様式の類型

─「漢詩」の分析を中心とした政治性及び建築と

書法との照合

双方向性の書

大躍進期の書様式の類型

第二期郭体の淵源としての共産党プロパガンダ詩、そしてその書法

書品と建築のダイナミズム

漢詩と書法の関係と傾向─第三期郭体とその漢詩の詩境

大躍進期に於ける第一期風郭体の内容について

大躍進政策と書風

第六節 郭沫若の歴史学行政・視察旅行と詩

─一九五〇年代に誕生、一九六〇年代に確立する

第三期郭体の生成過程と横幅作品の背景

についての分析

大躍進時代と書

視察の環境と横幅宣紙、そして書

─「办公室书法」の成立

簡体字の施行と漢詩の平仄について

華清池の書

反右派闘争期に於ける第三期郭体様式の意味

第七節 詩集『百花斉放』詩の構成過程

全体構成と一九五六年時期の三首

反右闘争という転機と大躍進政策の頌歌

『百花斉放』詩の書風構造とその意味について

題辞と第三期郭体の使用条件─トーンダウンという止揚

玉虫色の文学と書

第八節 大躍進、調整時代の文学

─視察時に於ける第三期郭体から第四期郭体

までの過程とその詩、書の思想

共和国の政治家 郭沫若

一九五八年から一九六二年までの視察データ

視察と漢詩と書の意義

視察書体の様式と変遷─毛沢東の復権と詩の唱和へ

碑帖の学の超克としての郭沫若の書境

左傾化する書法

 

第四章 社会主義運動から文革、

そして晩年に於ける書の変貌

(一九六三年~一九七八年)

第一節 社会主義運動から文革に至る書の在処

─郭沫若「満江紅」詩の社会史的意義を

中心にして

郭沫若と「満江紅」詩の意義と展開

毛沢東との関係と漢詩

第四期郭体に至る道程と定義

文革前夜の郭沫若

権力の書と「文革」突入前

第二節 文化大革命初期に於ける郭沫若の思想転換と書法

─毛沢東との関係に於ける書風の変貌を巡って

文革を迎えるまで

一九六五年から一九六六年にかけての郭沫若の漢詩と書

文革前夜と書の在処

自己批判時の詞と書

一九六七年時の書相と文革様式の意味

文革前の息子、郭世英、郭民英の動向

いつ、どのように、旧文化は姿を消したのか

─空白の時代の意味

付き人観

第三節 日中国交正常化交渉と郭沫若の役割

─文革中後期に於ける郭沫若の三つの書法様式

とその背景を巡って

転向へ

郭沫若の詩と詞について

残存する書の分析

─三つの類型的変貌過程と頌歌を中心にして

郭沫若と日本人人脈と毀誉褒貶

日中国交正常化に於いて─最後に託された仕事

外交と書

文革期の日本との友好工作と漢詩と書の在処

日中の歴史絵巻の制作

最晩年の書と学問─七十年の光陰の意味

 

おわりに

索 引

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